『時の矢は放たれた』
  
実弥島 巧

(1/8)

 リフィアが「あ……」と小さな声を上げて、空を仰いだ。ついでニコルも空を見上げ、掌を上に向けて差し出す仕草をする。
「雨っスよ、アニキ!」
 ニコルの言葉に、ラルクは空模様を確認しようと顔を上げた。直後、右の瞳に雨の雫がぽとりと落ちる。
「……なんだよ。晴れてるのに雨かよ」
 いつの間にか青空から大きな雨粒が現れ、光を反射しながら大地へ降り注いでいた。
「ねーねー。どこかで雨宿りしようよ。濡れちゃうよ!」
 セシルが辺りを見回しながら言った。とはいえ街はまだ遠い。辺りには灌木と岩しか見当たらない。ラルクは舌打ちするとセシルを見下ろした。
「諦めろ。雨宿りできるような場所はない」
「そんなぁ! 風邪ひいちゃうよ! 服だって濡れちゃうし……」
「ラルク」オイゲンが右手奥の大きな岩を指さした。「あそこの岩影なら多少はしのげるだろう。セシルとリフィアだけでも雨宿りさせよう」
 なるほど。ごつごつと段差のある大地に巨大な岩が斜めに突き刺さっている。セシルとリフィアなら、少し身を屈めれば岩の隙間に入れるだろう。
「わーん! よかったよぅ! 行こう、リフィア!」
 セシルはリフィアの手を掴み、脱兎の如く走り出した。二人が岩陰に座り込むのを見ながら、ニコルがため息とも悲鳴とも取れる声を上げた。
「あーぁ……」
「なんだ、ニコル」
 ラルクが眉を顰めてみせるとニコルは情けなさそうに眉を寄せる。
「だって、ホントに二人しか雨宿りできるスペースなさそうッスよ」
「仕方ないだろ。天気雨なんてすぐに止むんだから我慢しろ」
「風邪引くかもしれないじゃないっスか」
「何セシルと同じようなこと言ってるんだ。大体馬鹿は風邪を引かないって言うだろ」
「そりゃないっスよ、アニキィ~」
 ラルクはわざとらしく両耳を塞ぎながらニコルを無視すると、雨宿りするリフィアとセシルに近づいた。
「どうだ? 少しはマシか?」
「まぁまぁって感じかな」
 セシルがこまっしゃくれた顔で頷く。ラルクは呆れて肩を竦めた。
「リフィアは?」

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(2/8)

 しかしリフィアはラルクの声に気付かない様子で、じっと空を見つめている。
「どうした、リフィア」
 ラルクがリフィアの顔を覗き込むと、リフィアは我に返ったようだった。しばらくぱちぱちと瞬きした後、リフィアは突然ラルクの手を掴み、微笑みながら頬を紅潮させた。ラルクはぎょっとして身を引く。
「おい、リフィア――」
「ねぇ、ラルク! お天気雨でしょう?」
「は?」
「この雨、お天気雨って言うんでしょう?」
 ラルクが要領を得ないまま頷くと、リフィアは嬉しそうに頷いた。
「やっぱり。ラルクと初めて出会ったときにも降ったわ。ね?」
 そういえば――とラルクはリフィアに出会った日のことを脳裏に甦らせた。濁竜討伐に出かけ、一人遭難し、リフィアと出会った。その日からラルクの人生は波乱続きだ。あの時とは何もかもが変わってしまった。幼なじみたちと別れ、尊敬し、慕っていた皇太子に裏切られ、大切な人を失い――
「なんか……遠くまで来たんだな……」
 ラルクが呟くと、いつの間にか近くに来ていたオイゲンが哀しげな瞳を向けてきた。
「辛いか」
「辛いっていうか、未だに何が起きてるのかよくわかってねぇからな。上手く状況が整理できてないんだと思う」
 突然イーサの子と呼ばれ、ログレスと契約するようにと言われた。それがどんな意味を持っているのか、世界にどんな変化をもたらすのか、未だにラルクにはわからない。
「まさかこんなことになるとは思ってなかったからな。未来のことなんて、ホントわかんねぇよな」
「そうだな。今こんな風に思っていることも、しばらくすれば、また過去の記憶になる」
「そうっスよね。まさかオレが帝国軍を辞めるなんて、ちょっと前は想像もしてなかったっスから」
 ニコルも軍服の上着で雨をよけながらラルクの横にやってきた。
「私も本当ならまだ歌学省にいた筈だわ。不思議よね」
 リフィアの言葉を受けて、セシルも頷く。
「みんな予想もしてなかった未来にいるってことだよね」
 セシルは口元に指を当てながら考え込んだ。

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(3/8)


「じゃあさ、この後はみんなどうなるのかな? 何してるんだろう」
「それは……ラルクがイーサの子として、イマジナルの定理を導くの」
 リフィアが真顔で答えた。ラルクは思わずため息をつく。セシルは同情するような視線をラルクに向けてから言った。 「それならそれでいいけどさ。もっと個人的なことだよ。旅が終わった後のこと。例えば、私は――家族みんなと一緒にいる……といいな、とか」
「オレはアニキの腹心の部下になってる予定っス。アニキの右腕として……」
「お前が右腕なら、俺は片腕もがれたも同然だな」
 ラルクがわざと意地の悪いことを言うと、ニコルがしおしおとその場にしゃがみ込む。
「そりゃないっスよ、アニキ~」
「日頃の行いを思い返してみるんだな」
 ラルクは言いながら、ふと自分の未来を考えた。
 イーサの子という生き方はよくわからないが、きっと時が来ればその役目からは解放されるだろう。それはどれぐらい先の話だろうか。世界が落ち着きを取り戻した頃だろうか。
 一年では無理かもしれない。ならば三年――いや五年程か。
 五年後の自分が何をしているのかを考えると気が遠くなる。ディアマントに帰って、傭兵団でも作っているのだろうか。
 いや、ディアマントには皇太子ヴァイスがいる。ラルクがのんきにディアマントで生活することを許すとは思えない。と言うことは――
「俺は……共和国で暮らしてるのかな」
 思わずラルクが呟くと、セシルが妙に大人びた笑みを浮かべた。
「あれれれれ? それってリフィアと一緒に暮らしてる……とかそういうこと?」
 瞬時にラルクの頭に血が上った。
「な、何言ってやがる! そういう意味じゃねぇっ!」
 しかしセシルはそれを無視して、リフィアを肘で突っついた。
「リフィア、ラルクがプロポーズしてくれるって」
「おい、セシルやめろ!」
 ラルクはセシルの胸元をつかむ。それからリフィアに言い訳しようとして、彼女がぼんやり遠くを見ていることに気付いた。
「リフィア……?」
「私は……」リフィアが遠くを見つめたままぽつりと口を開いた。「私はどうしているのかしら……」

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(4/8)

 アルスは空を見上げて眉を顰めた。
 青空が見えているのに、雨粒が落ちてきたのだ。
「天気雨ね」レスリーが肩を竦めた。「風で雨雲が流れてきたのかしら」
 サージュも空を見上げると、小さく口笛を吹いた。
「天気雨か。知ってるかい? 天気雨は天の涙なんだってさ。狐が嫁入りしてるなんて話もあるな」
 サージュの横を歩いていたアデールが不意に立ち止まり、両手を広げて雨粒を受けた。
「狐の嫁入り……」
「アデール様、どうかしましたか」
 ディノスが気遣わしげな様子でアデールの傍に駆け寄っていく。アデールはしばらく空と雨とを見つめていたが、やがてフッと寂しげに微笑み、首を振った。
「ううん、何でもない」
 アルスには、アデールの考えていることが何となくわかるような気がした。
 本来なら彼女の隣に――そしてアルスの隣にいる筈の幼なじみのこと。彼女の心にはいつもラルクがいる。そのもどかしい思いが、彼女をこんな『遠い所』まで連れてきてしまった。
「アデール様。何か悩んでいることがあるのなら、ボクが……」
「大丈夫よ、ディノス」
 アデールは昔のままの懐かしい笑顔を浮かべて、そっとディノスの肩に触れた。
「ただ何となく、遠い所に来ちゃったなって思ってただけ」
 アルスは目を見開いた。アデールも同じことを考えていたのかと。
「まさか私がディーバになるなんてね。想像もしてなかった。おじいちゃん……どう思ってるのかな」
「ザムエルか? そりゃ、きっと喜んでくれるさ。ザムエルも俺もアデールちゃんをディーバにするために頑張ってきた訳だから」
 サージュの言葉に、アデールが暗い顔になる。
「そうね……」
「やっぱり不本意だったかい」
 サージュが意味ありげな視線をアデールに向けた。アデールは暫し考え込み、傍に控えるディノスを見やってから首を横に振った。
「そうやって、気持ちを押し殺しちゃうところは変わらないんだなぁ」
 サージュがうそぶいたが、アデールの厳しい視線を感じ取ったらしく、オーバーリアクションで肩を竦めて背を向けてしまった。

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(5/8)

「アルス様、あの木の下なら、多少は雨がしのげましょう」
 周囲を見渡していたクライドが、少し先の丘に見える楡の木を指さした。
「そうだね。みんな、あそこで少し休んでいこう」
「そりゃいいや、大賛成!」
 サージュが真っ先に走り出す。アルスも後を追いかけようとしたが、アデールが立ち止まっているのに気付き、慌てて彼女の元へ駆け寄った。
「アデール? 大丈夫かい?」
 アデールは何故か苦笑して頷いた。
「アルスって、いつもそう」
「え?」
「なんだか……うまくいかないよね」
 アルスは微笑むしかなかった。肯定しても否定しても苦しくなる。
 大きな楡の木は、一行が雨宿りするには十分な枝振りだった。アルスとアデールが遅れて木の下に到着すると、レスリーがタオルを差し出してくれた。アデールは礼を言ってそれを受け取ると、微かに湿った髪にタオルを当てた。
「綺麗な髪の毛なのに、濡れちゃったわネ」
 言いながら、レスリーがアデールのほつれた髪を整えている。
 アデールにとって彼女の存在は貴重だ。アルスたちに話せないことも、女性同士なら相談できるだろう。ただこの状況がいつまでも続かないことは、誰もがわかっていた。この旅の仲間は、皆、それぞれの思惑があって集っている。いわばかりそめの仲間だ。レスリーはノースノワーレ教の闇を探るために協力しているだけだし、サージュはアデールを守るという契約を終えた直後で、いつ離れていってもおかしくはない。クライドも今はアルスに従ってくれているが、本来はメリディア帝国を離れた皇子を守る理由などない筈だ。ディノスなら、或いはいつまでもアデールの為に力を貸してくれるかもしれない。しかし彼が本当に心を寄せているのはアデールではなく、彼女の母でる先代ディーバだ。きっとアデールもそのことはわかっている。アデールは孤独なのだ。周囲にこれだけの人間がいても。
「こうしていても、時間は流れていくんだね」
 願わくば時よ止まれ――アルスはそう思った。時が流れれば、いずれはラルクたちと戦うことになる。その度にアデールは血の涙を流す。そんな未来など訪れないほうがいい。アルスたちの使命を考えれば許されないことだとわかっていたが、それでも願わずにはいられないのだ。

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(6/8)

「そりゃそうさ。寝てようが何をしようが、時間は流れるんだ」ディノスが唇の端を歪める。「流れる時間を止める事なんてできない。死ねば話は別だけどね」
「皇子様は時間を止めたいのかしら」
 レスリーが妖しく笑った。アルスは自嘲する。
「そうだね……。なんだか色々なことがあって、全てを消化していないから時間が欲しいのかもしれないね」
「そんな弱気なことじゃ困るんだよね。イーサの子としてアデール様の為にしっかり働いてもらわないとさ」
 ディノスに睨まれ、アルスは「そうだね」と頷いた。
 逃げることも引き返すことも許されない道を、アルスたちは歩み始めてしまったのだから。
「確かに遠い所へ来てしまったし、これから何が起こるのか僕にはわからないけれど、それでも一つだけ確かなことがある」
 アルスはアデールを振り返った。視線を感じたアデールが戸惑った様子で首を傾げる。
「何?」
「僕はいつでもどんなときもアデールの傍にいるってことだよ」
 アルスの言葉を聞いて、レスリーがアデールの頬を両手でくるみ、ふにふにとつまんだ。
「聞いた? 女冥利に尽きるわね」
「ちょ……ちょっとレスリー、やめて……」
「ああ……女の子同士楽しそうだなぁ……。俺様も混ぜて……」
 サージュがフラフラと二人に近寄るが、レスリーがすぐさまサージュの太ももに蹴りを入れる。
「おじさんは引っ込んでてネ」
「鬼! 鬼畜! 悪魔!」
 二人の言い争いをクライドとディノスが苦虫を噛みつぶした様子で見つめている。おもちゃにされているアデールも、困惑してタオルを握りしめていた。
 こういう時間が少しでも長く続けばいい。そうすればどんなに辛い未来が訪れても、この旅のことを懐かしく思い返すことができるだろう。色褪せない思い出は、いつまでもアルスを支えてくれる筈だ。五年後も十年後も――命果てるときまで。
 そしてどんな未来が訪れたとしても、アルスはアデールの傍にいる。
そのことをアルスは後悔しないだろう。

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(7/8)

 天気雨は降り始めと同じく、唐突に止んだ。オイゲンが空を仰ぎ、微かに笑って遠くを指さした。
「見ろ。――虹だ」
「ホントだ!」
 セシルが岩陰から飛び出して、空にかかる七色の橋を見上げた。リフィアもセシルの後を追って、虹を見上げる。
「綺麗っスね! なんかいいことあるかもしれないっスよ!」
 ニコルまで歓声をあげて、虹をつかもうとジャンプしていた。
「そうかぁ?」
 ラルクは岩にもたれかかりながら、腕組みしてため息をつく。
 虹がなんだというのだろうか。太陽の光が生み出した幻だ。綺麗だとは思うが、だからといって何が起こる訳でもあるまいに。
 しかしラルクの気のない声を聞いた一同が、冷ややかにこちらを振り返ってきた。
「ラルクって、ホント最悪。芸術とか全然興味ないでしょ」
セシルに噛みつかれて、ラルクは舌を出した。
「芸術で飯が食えるかよ。それよりそろそろ行こうぜ。はやくどこかの街で着替えたい」
「そうだな。また雨に降られても敵わない」
 オイゲンの言葉でセシルも納得した様子だった。一同が太陽を背に歩き出す。
「そういえば、オイゲンは?」
 リフィアが先頭を歩くオイゲンに声をかけた。オイゲンが要領を得ない様子で振り返る。
「何のことだ?」
「さっきの話。この後……この旅が終わった後、何をしていると思う?」
「私か……」
 オイゲンが一瞬ラルクを見た。
「なんだ?」
「いや……。そうだな。旅が終わってまだ生きていたら、ラルクのやりたいことに力を貸したい」
「俺? なんで?」
「ラルクが危なっかしいからじゃないの?」セシルがくすくすと笑う。「いいじゃん。憧れのレオンが力を貸してくれるって言うんだからさ」
「ま、まぁ……な」
 そう言われてみればそうだ。もしかしたら神速のレオンと一緒に傭兵団を作れるかもしれない。そう思った瞬間、ラルクの口元が自然と緩んだ。
「ラルク、笑ってる」
 リフィアがこちらを覗き込んで微笑んだ。ラルクは照れくさくなってそっぽを向く。
「そ、そうか?」
「……私も、そうしたい」
リフィアが呟いた。ラルクが意図を計りかねていると、リフィアは困ったように肩を竦める。

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(8/8)

「私……何もかも終わってからどうしたいのかなんて、考えたこともなかったの。でも今、こうしてみんなと一緒にいることが嬉しい。ラルクがイーサの子で嬉しい。だからきっと……未来もそうだといいなって」
「ああ……そういうことか」
「まだどうしたいのかよくわからないけど、みんなと笑っていたい。できればアデールやアルスとも一緒に……」
 ラルクは遠く離れてしまった二人の幼なじみに思いを馳せた。
 リフィアの言う通りだ。ほんの少しずつボタンを掛け違えて、随分遠くに離れてしまったけれど、だからといって二人のことを嫌いになった訳ではない。
 いつか全てを終えて、わだかまりを捨てて、もう一度わかり合いたい。
 
――どんな傷も時間が癒してくれるのよ。だから人は生きていけるの。
 
 幼い頃近所の子供と喧嘩をして泣きながら母の元へ逃げ帰ったとき、母はそう言ってラルクの頭を撫でてくれた。その時はよくわからなかった言葉が、今は水のように染み渡る。
 悲しみにうちひしがれて、現実に傷ついたとしても、いつかそれすらも愛しさに変わるだろう。どんなに辛い現在(いま)も、全てが思い出になる。
 時が過ぎるとはそういうことなのかもしれない。
 願わくばこの旅も、愛しい思い出に変わりますように。
 (――らしくねぇか)
 ラルクは気恥ずかしくなって空を見上げる。虹は消え、行く手には青空が広がっていた。

                     アークライズファンタジア五周年に寄せて
           彼らの旅が全ての冒険者たちの忘れ得ぬ思い出になりますように

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