――聖暦727年、春。
<福音書>に記された<神々>と<人類>の約束。
――<神々>は、千年ごとに光臨し、<神々を信じる人々>に<祝福>を与える。
その約束の千年の節目を来年に控えた春であった。
<法王庁>は、来年に<神々>を迎えるための祭事<千年祭>を企画。
今年はその<千年祭>の前祭として、様々な行事が予定されていた。
その多彩な行事のうちひとつ、<春の感謝祭>に、
天に捧げられた都市、清らかなる<聖都>は沸いていた。
町を行く人々は思い思いの趣向を凝らした衣装をまとい、
通りには、春らしい薄桃色やオレンジの花が敷き詰められている。
赤や青の鮮やかな旗を掲げる露店では、今風に髪を結った看板娘たちが人々を誘う。
「精霊の森直送のリンゴで作ったリンゴ飴だよ!」
「ドワーフの釜だしパイはいかが?」
<法王庁・食料庫>と<薬草院>から配給された物資のほかにも、食糧や医薬品を買い足す。
特に薬は多くて困るものでもない。
向こうで処方することも考えて、多めに薬剤となる品を仕入れた。
最後に露店に立ち寄り、リンゴ飴を半分だけ買って、フェリクスは馬車へと戻った。
「春は、<春の感謝祭>、秋は<収穫祭>か――。
<千年祭>の準備で、人々が活気付くのはいいものですね」
リンゴ飴を取り合って、子供たちが通りを駆け抜けていく。
その小さな背を車窓から眺めつつ、フェリクスもリンゴ飴をかじった。
「そんな甘いものを食うとは子供だな」
窓から顔を出すといつの間にか、御者席に陣取るイアンの姿があった。
「イアン!? どうして貴方がここに?」
「同行することにした。
<七つ村>までは険しい山道が続く。
重要な<使命>を持った神官が、村に着けなくては困るだろう。
馬車は俺が駆る。
そら、ラウロ司祭からの<許可書>もある」
ひらりと<許可書>を見せる。イアンはすっかり旅支度である。
フェリクスは面食らった。
「私のために、そんな……。ラウロ司祭も人が良すぎますね」
「まあ、<迷子の子猫探し>なんかを<使命>に数えるお人だからな」
「でも、いいのですか? 問題視されている私なんかと一緒にいて?」
「……。はっきり言わないとわからんのか。お目付け役としての<使命>、だ」
「なるほど」
フェリクスは苦笑した。
§ § § § §
<聖都>を後にして、七日目の夜。
フェリクスとイアンは、ひとつの町とふたつの村を経由して、
目的の<七つ村>のある山岳地帯へとたどり着いた。
「風が湿ってる……。一雨、来そうだな。その前に村まで着きたい、飛ばすぞ」
風を見ていたイアンが、馬に声をかける。
イアンの言葉に答えるように馬は高くいななき、足場の悪い山道を、たくましく走り出す。
フェリクスは感心する。
「すごいですね、イアン。馬と心が通じているんですね」
「戦時中は軍にいたからな。馬の扱いと長旅なら、慣れたものだ」
「え? そ、そうだったんですか……?」
「言わなかったか?
俺は生粋の<教区>あがりの神官じゃない。<連合>出身だ」
さらりとイアンは言ったが、フェリクスは困惑した。
軍人と聞けば、確かにそういうふしはあった。
人の内面を見抜く鋭い視線や、機敏な動作。そして、運動神経抜群の鍛えられた肉体。
だがフェリクスは、イアンが軍人だったと、考えてみたことなど一度もなかった。
(そういえば過去の話を、イアンから聞くのははじめてだな。
世界を二分した戦争だったんだ。イアンにだって……)
御車台に座るイアンの精悍な横顔には、いつもどおりなんの曇りもない。
冷静に山道の状況を読み、馬に声をかけて、手綱を引いている。
ほどなくして道が平らになった。大きな岩がどけられて、道幅が広げられた跡がある。
行く手の道は山裏へと回り込んでおり、その方角を指し示す、<七つ村>の看板が立っている。
まだ人家の灯は見えなかったが、目的地は近いらしい。
――と、急に白い光が満ちて、辺りが照らされた。
「なんだ、あれは!?」
イアンが空を見上げていた。
灰色の雲を抜け、流星が向かってきていた。見る間に空が白く染まっていく。
「!」
轟音が山々にこだまし、同時に、強風がフェリクスたちを襲った。
馬車の幌が吹き飛び、馬の首も持っていかれた。
衝撃で馬車から吹き飛ばされ、フェリクスの体は石ころのように地面を転げた。
あと少しで谷底へまっ逆さま!、という……、間一髪のところでイアンの腕が伸びてきた。
「フェリクス、大丈夫か!?」
「な、なんとか……」
イアンの腕に支えられ、フェリクスは目を開けた。
岩肌を登り、ホッと息をつくと、イアンの肩から血が流れていた。
「イアン、血が!」
「いや、こっちはかすり傷だ。それより、足をやっちまったらしい」
イアンが顔をゆがめて、足先を見た。
「見せてくれ」
「いや、薬さえ置いて行ってくれれば自分でやる。軍での心得もあるから心配は要らん。
それより、お前は村へ急げ。神官として、<使命>を優先させろ。
それにこの分だと、村には<薬師>が必要そうだ」
「わかった」
うなずいて、フェリクスは駆け出した。
山陰の向こうからは、落ちた星のものなのか、光が射している。
「さっきの光――。私はきっと見たことがある……。
あれは……、あれは……!」
フェリクスは、ある確信を胸に、夜の森を駆け抜けた。