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第四話「終焉」

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【3】

 ――聖暦727年、最後の日。
<法王庁・聖都>と、<帝国・帝都>では、<千年祭>が開催されていた。

§ § §

 <帝都>の西にある大きな港町には、朝から小雨が降っていた。
病室の窓から外を眺め、フェリクスがつぶやいた。


  「夜には雪になるかもしれませんね」

  「ああ……」


 ベッドの上で、イアンがうなずいた。


  「フェリクス……。どうしても俺を<帝都>に入れないつもりか?」

  「私たちだけでは、勝ち目はないと――。そう、思うのですか?」

  「そうだったな……」


 それは、もう何度も繰り返してきた会話だった。
イアンは苦笑して、そして腕に巻いた包帯を見つめた。


  「しかし、あのクソじじいは……。
   腕の治療だけ手抜きしたように思えてならんのだがな。

   フェリクス、それを持って行け」


 壁に立てかけてあった魔法剣を、イアンは顎で指し示していた。


  「でも、私は剣は……」


  「潰してもかまわんさ。
   こんなものは何十本と支給されている。お守り代わりに持って行け。

   もし、この腕が治るまで長引くようなら、駆けつけよう」


  「ええ、頼りにしてます」


 フェリクスとイアンは、硬い握手を交わして別れた。

§ § §

 午後になると雨があがって、分厚い雪雲の隙間から少しだけ太陽が顔を出した。


  「陽射しを見るとホッとしますね」

  「ええ」


 下町のオープンカフェへと繰り出したフェリクスは、ひとりの女性を伴っていた。


  「そういえば、妹さんたちは?」


  「姫様に暇を出されてすぐに、田舎に帰りましたわ。
   最初は都を恋しがっていたようですが、観念してふたりとも結婚したようです」


  「そうですか。おめでたいことですね。……それで何故、あなたは帰らなかったのです?」

  「私? 私は……」


 頬を染めうつむいた女性に、フェリクスが優しく声をかける。


  「<皇女>のことならば、ご安心ください。
   この<千年祭>の間は、私が<司教>として、最後までおつきします」


  「フェリクス様は、冷たいお人ですのね。

   私どもから姫様をお取上げになっただけでなく、私まで追い払おうとするなんて……。
   それでいて、本当のことはなにひとつおっしゃらないんですから」


 女性はひとつため息をついた。


  「今のフェリクス様のまなざしは、戦場に向かう時の<陛下>のそれに似ておられます。

   私がここに残ってはいけない理由をお聞かせ願えないのなら、
   せめて、もう少しましな嘘をついて騙してくださらないと……」


  「すみません。でも、嘘と言われても……」


  「そうですね。
   たとえば、<千年祭>が終わったら結婚しよう。だから、待っててくれとか……」


 まじめな顔で言ってから、女性はぷっと吹き出した。


  「ああ、だめですねえ。これでは……。まあいいですわ、もう」


 女性は明るく笑った。だが、その長いまつげの下には涙が光っていた。


  「あら……。やだわ私ったら。せっかくのお化粧が……」


 無理して作った笑顔は急に崩れた。溢れる涙を止められなくなって、女性は両手で顔を覆った。


  「ご、ごめんなさい……、なんだか……、変で……」


  「では、<千年祭>が終わったら、あなたの村を見せてくださいませんか?
   あなたがた三姉妹が、どんな村で育ったのか知りたいです」


 ゆっくりと顔を上げ、女性は涙を拭った。


  「うちの田舎にも、おんぼろ学校があるんですよ。
   <トルーフィールド村>と似ているかもしれませんね。

   私は妹たちとそこでお待ちしております。ずっと……、お待ちしておりますから。
   どうぞ姫様と、あの怖い魔道師隊の隊長さんも連れていらしてください」


 フェリクスは、女性の手を握った。


  「ありがとう。ローズマリー、きっと皆で行きます」

  「はい……」


 今まで見た中で一番美しい、そして優しい笑顔で女性は答えていた。

§ § §

 夕方になると、フェリクスは<帝国・千年祭>の実行委員の元を回った。
<帝国・千年祭>を正しく執り行うために、人払いを徹底するよう注意を重ねた。

 そして実行委員たちも夜までには作業を終え、後は解散して、家族の元へ急いで戻り、
共に祭りを楽しむようにと伝えた。

§ § §

 日が沈みかけ、<帝都>が黄金色に染まる頃、
フェリクスは<千年祭>の舞台となる<帝国城・白水晶の塔>への道を急いでいた。

 と、人払いされて、がらんとしてしまった街の路地に人影がよぎった。


  「そこの者、止まりなさい! この地区は立ち入り禁止です!」


 追いかけて引き止めてみて、フェリクスは驚いた。
その若者は長い髪をおろしていたが、そこから突き出た耳が種族固有の極めて特徴的な形を
示していたのだ。尖った細長い耳の形は、その若者がエルフであることを物語っていた。


  「こんなところでエルフのあなたが、いったい何をしているのです!?」

  「待て、わしだ! ほら、<福音書>もある!」


 エルフの青年は、優雅なその姿にはおよそ似つかわしくない滑稽な動作で、
巨大な<水晶の塊>を懐からちらりと見せた。


  「きょ、<教皇様>!? いったい、どうなされたというのです、その姿は……!?」


  「お前たちを送り出した後、<連合>の残党に、あっさりと暗殺されてしまった!
   仕方なく、そこらにあった別な死体に魂を移したのだ」


  「魂を……?」


 驚くようなことをさらりと言ってのけると、
エルフの青年の姿を得たという<教皇>は、うむとうなずいた。


  「まあ、<皇女>と似たようなものだ。器がどうあれ、わしの魂も限りなく不滅に近い。

   そう、それでここまで来たのだよ。
   <皇女>にもこの顔を覚えさせてやってくれ。あの娘は、生き延びる確率が高い」


 <教皇>がほっそりとした両手いっぱいに<水晶片>を乗せ、差し出していた。
澄んだ輝きの<水晶片>のひとつを取って、フェリクスはうなずいた。

 <水晶>に今見ている記憶を念じこめ、再生し、確かめる。
再生された映像が青年の像を結ぶと、青年はすっきりと引き締まった髭のない顎をこすった。


  「ううむ……。
   この若さでエルフでは、<法王庁>を上り詰めるのは難しいかもしれんな。
   次の世は、少々趣向を変えてみるか……。

   では、フェリクス、達者でな!」


 きびすを返し、さっさと去っていく青年の背中に、フェリクスは深々と頭を下げた。


  「<教皇様>、私は<法王庁>で学べてよかったと思っています。
   僅かな間でしたが、故郷を失ったあの時期、私を支えてくれたのは信仰でした。
   後の世を、どうか、よろしくおねがいします」


 背中を向けたまま、ひらひらと手を振って<新教皇>の姿は路地の奥へと消えた。


 聖暦727年、人類が文明を得て999年目――。その、最後の夜は静かに更けていった。

§ § §

 世界中の人々が待ちわびた、新しい時代の朝が来た。
人々は遠くの町から、<帝都>のシンボルとなる塔<白水晶の塔>を見上げていた。

 <帝国城>の象徴、<白水晶の塔>に<皇女ロズマリン>の姿が現れる。
<皇女>は、この日、特別にしつらえた美しい菫色のドレスと、銀色のガウンを羽織っていた。

 <皇女>の美しい姿を見るなり、兵士たちは手に手に剣を掲げ、わっと歓声を上げた。

 <帝国・皇帝>が過労を理由に離宮へ身を寄せ、軍の半分はそちらに割くことが出来た。
しかし、残る半分は、どうしても立ち去らすことが出来なかった。
彼らは<皇帝>の留守に、<帝都>と<皇女>を守る<任務>を負っているのだ。


  「<皇女様>ー!」

  「<帝国>万歳ー!」


 地が鳴るようなその歓声に、<皇女>は軽く手を振ってこたえた。
そのたびに長い袖がたなびき、きらきらと輝く。ドレスにもガウンにもビーズが縫い付けてある。
それは、魔力を帯びた純度の高い<水晶のビーズ>であった。


 聖暦728年――。
世界のどこよりもはやく、千年めのその日を迎えた<帝国>上空には青空が広がっていた。

 抜けるような青空に、清らかな光の粒が降り注いできた。
輝く粉雪のように降り積もる光の粒を見上げ、兵士たちは口々に叫び始めた。


  「な、なんだ、この光は!?」

  「まさか……、まさか本当に……?」


 天上から降り注ぐ光の淡雪の中、巨大な物体がゆっくりと降下してきていた。
銀色の光沢を放つ機械仕掛けのような不思議なその物体は、その頂上に真っ白な蕾を持っている。

 巨大な物体は光の粒を振らせながら、ゆっくりと降下を続け、
<帝国・帝都>の全てを見下ろす位置まで来ると、ぴたりとそこに制止した。

 人々の目が光に慣れてくると、白い蕾が折り重なった巨大な翼であることがわかった。
花開くように、一枚一枚と大きな翼が広げられていく。

 真っ青な空を背後に、伸びやかに広げられた純白の六枚の翼。
その中から現れたのは、長い髪をたなびかせ、剣を胸に抱いた<眠れる女神>であった。


  「<女神>――!?」

  「<神々>は本当にいたというのか……?」

  「なんて美しい……」


 兵士たちが息を呑む。<女神>は長いまつげを伏せたまま、<帝都>を見渡すようにしていた。
 と、次の瞬間、<女神>を中心に紫色の光が走り、魔方陣を描き出した。
空中を漂う光が<女神>の胸元へと集い、青紫に輝く妖しい光球となって膨れ上がる。

 そして――。

 膨れあがった光は一気に弾け、<女神>を中心に、世界へと走った。
静かな水面に小石を投げ込んだように、環状に広がる光と衝撃とが世界をなぎ払う。

 走り出した衝撃は、兵士たちをその背後にある建物ごと巻き上げ、空高く吹き飛ばした。
空がよどみ、大気は震え、大地が唸った。その衝撃は、遠くの山々にまでもおよんだ。
抉り取られた山々の上半分が恐ろしい音を立てて崩れ、地面へと滑り落ちていく。

 激しくほとばしる<神の力>に、世界中が悲鳴をあげるようだった。

 かろうじて助かった兵士たちは、事態を把握できず、ぼんやりと<女神>を眺めていた。
こんなにも美しい<女神>が、人類に害をなすという発想は浮かばなかったのだ。
剣を抱き目を伏せた<女神>の胸元で、新しい光が急速に集い、膨らんでいく。

 と、そこへ――。
白い流星が弧を描き空を駆けていった。<女神>の翼を一枚を貫き、白い流星が爆発する。
翼を焼かれた<女神>は、その身を大きく傾いだ。<女神>が、ゆっくりと地上へ落ちていく。

 地響きを上げ<女神>の体が地に着くと、<女神>はゆっくりと顔を向けた。
瞳は硬く閉じられたままだが、<女神>は破壊された<帝都>の一角を見つめているようだった。

 <女神>が顔を向けた先には、傾いた<白水晶の塔>があった。
その上に、ひらりと銀のガウンがひるがえり、<皇女>が降り立っていた。

 <皇女>がガウンをたなびかせ、<女神>に向け、さっと手をかざした。
たちまち<皇女>の足下に澄んだ輝きが走り出し、傾いた石畳に魔方陣を展開する。

 魔力を湛えた<皇女>の手が、<女神>めがけてさっと振り上げられた。
<皇女>の手の動きをなぞり、ひび割れた大地をすべって、力強いひとすじの魔力が駆け抜けた。
<皇女>の魔力は凄まじい速さで地を滑り、<女神>の肩口まで一直線に駆け上がる。
その魔力の軌跡には、次々と巨大な<水晶柱>が吹き出していった。

 魔力の軌跡をなぞるようにそそり立った<水晶柱>は、
氷で出来た花のように開いたかと思うと、涼しげな音を立て、続け様に砕け散った。

 <水晶>が次々と砕けていくその衝撃の波が、<女神>の肩を強く打ち据えた。
衝撃を受けた翼が大きく揺らぎ、<女神>の唇が驚いたように開かれた。

 次の瞬間<帝都>上空に、無数の細長い弾丸状の物体が出現していた。
弾丸は雨のように降り注ぎ、<白水晶の塔>を襲った。

 <白水晶の塔>の一角が崩れ、その瓦礫は、辛うじて生き残っていた兵士たちを直撃した。

 隣にいた兵士たちが嫌な音を立てて掻き消えたのを感じ、ひとりの若者がふとそちらを向いた。崩れ落ちた煉瓦の合間から、赤やピンクの何かが蠢いているのが見える。
目を凝らして、それが先ほど二、三言葉を交わした同郷の先輩兵たちの臓器だと気づいた。

 若者は全身の毛を逆立て、悲鳴をあげた。


  「ぎゃあああああああああ!」


 それが合図だった。<女神>の美しさに魅入られ、我を忘れていた兵士たちは目を見開いた。
見渡す限りの瓦礫の山。ひび割れた大地。死体の数々。底知れぬ恐怖に直面し、はじめて、
彼らは逃げるという行動を選択した。


  「<女神>がお怒りになっている!」

  「みんな殺されてしまうぞ!」


 <女神>が放った弾丸の雨は、逃げ惑う兵士たちを容赦なく貫いた。

 <皇女>はガウンをひるがえし、<女神>に向かって駆け出した。

 <女神>が、<皇女>の動きに気づき、微かにそちらへと顔を向ける。
すると降り注ぐ弾丸は途中で向きを変え、<皇女>ただひとりを追いかけはじめた。
弾丸の雨に追われ、逃げ場を失った<皇女>は、さっと振り向き、袖をひるがえす。

 上空で魔力がぶつかり合い、激しい火花が散った。
弾丸の全てを受け止めて、<皇女>の手の先には無数の<水晶の盾>が展開していた。

 <皇女>のしなやかな腕に、髪に、澄んだ魔力がみなぎっていく。
魔力の行き渡った金髪をなびかせ、<皇女>は手を水平に凪いだ。
<水晶の盾>の一枚一枚が、<皇女>の手の動きをなぞり、支えていた弾丸を強く跳ね返す。

 跳ね返された弾丸のひとつが、<女神>の頬をかすめ、空へと飛び去った。
<女神>の髪のひと房が、弾き返された弾丸によって切り取られ、風に舞う。

 <女神>の顔に、表情が浮かんだように見えた。
まるで子供の他愛もないいたずらを咎める母親のような、微かな笑み――。

 次の瞬間、<女神>の元から、無数の黒い衝撃が放たれた。
黒々とした神の力は、宙を走るうち禍々しい鎖となってしなり、<皇女>に襲い掛かった。

 瓦礫の合間を縫うように逃げていく<皇女>のその腕を、一本の鎖が捕らえた。
鎖は<皇女>の腕に食い込むと、その体を天高く釣り上げて、<女神>の前へと放り出した。

 体の自由を奪われた<皇女>は、燃えるような瞳で<女神>を見上げた。
<女神>の胸元には、見る間に紫の光球が膨れあがっていく。
動けぬ<皇女>、ただひとりをめがけて、その<女神>の力が放たれる。


  「危ない!」


 何者かが魔法の剣で鎖を断ち切り、<皇女>の背を強く押していた。

 瓦礫の影に勢いよく転がり込んで、ハッとして<皇女>は振り返った。
そこには、神の力に討たれ、今まさに焼け落ちんとしている青年の姿があった。

 魔法剣を手にした女性のように細い指先。長い栗毛のかかった優しげな目元。
青年の姿を認めるなり、<皇女>の顔が、にわかにこわばっていく。


  「フェリクス様……!」


 <皇女>はフェリクスへと駆け寄ると、燃え上がる身体に手早く治癒魔法を施した。
魔法を唱える<皇女>の手を、フェリクスの手が掴む。


  「いけません。魔力は温存してください……」

  「ですが……!」

  「私も薬師です。自分の傷がどの程度かわかります。助かりませんよ……」


 フェリクスを焼いた<女神>の力は引いていったが、その身はもう溶けはじめている。
<皇女>はいたたまれなくなって、フェリクスに尋ねた。


  「何故、彼女と……、ローズマリーと旅立たなかったのです?
   あの娘には、そういい含めておいたはずです……!」


  「それより、どうして魔道師隊など配置したのですか?
   おかげで来るのが遅れてしまったではありませんか……」


 フェリクスが視線を泳がせた先に、赤いマントを羽織った一団がいた。


  「皆、どうして……? どうして、止めてくれなかったのです……?」


 そこへ、どこからか冷たい声が響き渡った。


  「その者は私が呼び寄せた。その者の水晶の技術で、お前の戦いの記録を残さねばならない」

 地響きが聞こえて、<皇女>は青ざめた。


  「<陛下>――!?」


 崩れ去った<帝都>の一角、瓦礫の中から台座が競りあがっていくところであった。
台座の上には、機械仕掛けの砲台が鈍く光っている。
指揮官たちのかけ声に従い、機械砲台の照準が<女神>の顔へと合わされた。
魔力の詰まった巨大な弾丸が込められ、轟音と共に打ち上げられる。


  「打ていっ!」


 全ての指揮を取るのは、獅子のように髪を振り乱し、瓦礫の上に立つ一人の男。
黒い甲冑に黒いマントをなびかせた、<皇帝>その人だった。


  「これで、しばらくは持つだろう。その間に体勢を立て直せ。
   それと――。その者が死ぬ前に、記録を残す<水晶>の作り方を学べ!」


 どこからか響いてくる冷たい声を耳に、<皇女>がぐっと唇を噛んだ。


  「フェリクス様――」

  「それなら……、これに……、焼き付けてきました」


 <水晶片>を差出して、フェリクスは笑った。


  「あとこれも……、使ってくれませんか……。私が、設計したものです……」


 フェリクスの女性のように細い手が、<水晶の指輪>を差し出した。


  「あなたの魔力を増幅できるはずです……」


 <水晶の指輪>を持つフェリクスの手は激しく震え、今にも折れてしまいそうだった。
フェリクスの手を握り締め、<皇女>の目が熱くなった。


  「私は、人々の命を犠牲に作られた戦いの道具なのです。

   あなたの妹さんの身体だって――!」


  「だから、なおさらなのです。
   その体も、その魂も、その心も……。全ては誰かの大切な人のものだったのでしょう。

   だから、大切に使ってください。
そして……、そして……戦ってください!

   私たち人間には出来ないことを、あなたは……、あなたならできるかもしれない!
   その無限の魔力と、精神と魂を捧げて、あの<女神>を倒してください……!」


 弱々しく天を指すフェリクスの指。その先に、ゆらりと立ち上がる<女神>の姿があった。

 <女神>の上空には再び、無数の弾丸が呼び寄せられていた。
<皇女>が魔力を展開していく。だが、<水晶の盾>は僅かな差で間に合わない。


  「!」


 <皇女>めがけて駆け降りてくる無数の弾丸の前に、赤いマントの列がひるがえった。
魔導師たちが、降り注ぐ弾丸の雨に向け、力強く杖を振り上げていく。
杖にはめ込まれた魔石が輝き、巨大な炎を吹き上げた。
炎は絡み合い巨大な壁となって立ち上がると、降り注ぐ弾丸を捕らえ、溶かしていった。


  「お任せを……」


 魔道師のひとりが<皇女>へ軽く会釈した直後だった。その魔道師がふらりと身を傾けた。
炎の壁を突き抜けてきた黒い鎖が魔道師のその胸を貫いていたのだ。

 鎖が音を立てて引き上げていくと、魔導師の胸から鮮血が吹き出した。
倒れた拍子に、魔道師の顔から白い仮面が弾け飛ぶ。
左右で皮膚の色が違う、張り合わせたように歪んだ顔が、美しい<女神>の顔を睨んだ。


「仲間たちよ、封印を取れ! 我らの魔力、その全てを……燃やすの……だ!」


 倒れた魔道師が低い声で命じると、他の魔道師たちは赤いマントを投げ捨てた。
金色の竜が黒い甲冑の上を這いまわり、自らの尾を追いかけるようにして回転する。
がちゃりと錠が外れる音がして、甲冑が床に落ちていく。

 甲冑を脱ぎ捨てて、魔道師たちの肉体が露になる。
皮膚の色がところどころに違う、継ぎ接ぎだらけのその無残な身体が――。


  「我らが時間稼ぎする間に、お逃げください。<皇帝陛下>の最期の<ご命令>です……」

  「最期の……!?」


 ぞっとして<皇女>は<皇帝>がいた場所を振り返った。
機械砲台が並ぶその場所に、今まさに<女神>の放った弾丸が振り注ぐところであった。


  「――!」


 次の瞬間、空は白く滲み、機械砲台は粉々に砕かれ、天高く吹き飛んでいった。
弾丸の容赦ない雨に打ち抜かれ、指揮官たちの肉体も、無残に引き潰されていく。

 間もなくそこは煙を噴き上げるえぐれた大地が、延々と続くばかりとなった。
穴だらけの大地を見つめ、<皇女>の唇が震えた。


  「そんな……」


 <皇女>は髪をとめていた<水晶のかんざし>を取り、両手で握り締めた。
<水晶>から、ゆっくりと冷たい声が流れ出していた。


  「<皇女>、よ……。今は逃げよ。だが、必ず……<女神>を倒せ……!

   そして……お前が……<神>となれ……。
   お前は我々人類の<守護神>として……、この地上を、未来永劫、守るのだ……。

   自信を持て……!
   お前は、私の……、最高の……娘だ……!」


  「お父様……!」


 <皇女>めがけて、鈍く輝く弾丸が走ってきていた。

 魔道師たちが体を張り、<皇女>の盾となった。
彼らの歪な肉体が、赤々とした炎をまとい、ねじれた火柱を吹き上げる。
火柱は寄り集まって、太い炎となってうねり出すと、それはやがて炎の竜に姿を変えた。


  「命を燃やせ!」


 魔導師の一人が鋭く言った。彼らは自らの肉体を生命を燃やし、炎の竜を強化する。
<女神>の放った弾丸が魔道師たちを襲う。炎の竜は牙をむき、弾丸の半数を飲み込み溶かしたが残る半数は炎を抜けきり、
魔導師たちの体を正確に貫いていった。

 術者を失った炎の竜が身をよじり、雄たけびをあげ、かき消えていく。
打ち抜かれた魔道師たちの肉体はバラバラになって、吹き飛んだ。

 魔導師たちが倒れ、炎の竜がかき消えると、<女神>はすぐさま、黒い鎖を解き放った。
だが、しぶとく残っていた炎竜の火が揺らめいて、飛び散った魔道師たちの肉片を糧に、
爆発的に燃え広がった。魔導師たちの肉片を糧とした炎は、より広大な炎の竜を生み出し、
とぐろを巻いて<皇女>を守った。

 しかしそれもつかの間。青紫に輝く魔方陣が弾け、衝撃波が地を駆け抜けた。
炎の竜は一瞬で吹き飛び、吹き上げられた魔道師たちの腕が、頭が、ぼとりぼとりと落ちていく。
魔道師たちの亡骸が降り注ぐ中、<女神>は悠然と胸をそらし佇んでいた。
その胸の前には、新たに蓄えられた光球がはちきれんばかりに、くすぶっている。


  「!」


 とっさに放たれた<水晶の盾>は、はじめの衝撃で粉々に砕け飛んだ。
衝撃に紛れ、密かに走り出していた黒い鎖が、音を立てて<皇女>に迫る。

 だが、それはふいに左右に四散していった。
崩れた<白水晶の塔>のあちこちに、<皇女>の幻が映写されていた。
幻が<女神>の力をひきつけて、鎖を分散させていく。

 幻の映像を映し出す<水晶片>を見つけて、<皇女>はフェリクスへと振り向いた。
フェリクスは震える手で真新しい<水晶片>を握り、<皇女>の姿を焼き付けている。


  「フェリクス! もういいの、もういいのです!」


 <皇女>はフェリクスの服の裾を掴んで叫んだ。


  「<皇女>、手を貸してください……、この、魔力増幅の<指輪>を……」


 司教服の裾を握り締める<皇女>の左手を、フェリクスは掴もうとした。
だがフェリクスの腕は震え、だらりと垂れさがった。

 <皇女>がそっと左手を伸ばすとフェリクスは、震える指で<水晶の指輪>をはめた。
<皇女>の体を流れる魔力を感じ、<水晶の指輪>が美しい薔薇色に輝きはじめる。


  「うっ……」


 低く呻いたフェリクスの口から、とうとうと血が溢れ出した。


  「フェリクス様!」


 血に濡れたフェリクスの身を、<皇女>が抱き上げた。
<薔薇の指輪>をはめた左手が、フェリクスの服の裾を硬く握り締めている。


  「その癖……。私の服の裾をつかむ癖は、マリーの……、妹の癖でした。
   ああ、そうでしたね。妹の手だったのですね、あなたのその手は……。

   あなたの中に生きてる子たちのためにも、諦めないでください……。
   生きて……そして、いつか……」


  「いつか……、いつかなんです……?」



  ――いつか、戦いが終わったら、今度はあなたの人生を送ってください。



 そう聞こえた気もした。
だがそれは、消え行く世界を吹き渡る風があげた、悲鳴だったかもしれない。

 <皇女>はフェリクスの顔にこすり付けるようにして、自分の顔をうずめた。
フェリクスの頬はまだ温かかった。
<皇女>はそのぬくもりを、強く顔へと押し付け、自分の冷たい身体に写し取ろうとした。

 背後から、青紫の輝きが射し込んでいた。
<女神>の元、集い始めた輝きが、<皇女>とフェリクスの姿を照らしている。

 はちきれんばかりに蓄えた<神の力>を抱え、<女神>の大きな翼が力強く羽ばたいた。

 <皇女>は、フェリクスの身をそっと横たえると、立ち上がった。
瓦礫の中をゆっくりと歩み出し、<皇女>は<女神>を見上げる。



  『裁きの日――。我々は、女神が舞い降りるのを見た』



  「<女神>よ、よく聞くがいい。
   この世界はもはや、お前たち<神々>の玩具ではない」



  『だがそれは、福音ではなかった』



  「この地上は、私たち<人間>のものだ――!」


 <皇女>は、<水晶の指輪>をはめた左手を、高々と天へと掲げた。
その澄んだ<皇女>の声は、<女神>の放つ神の力によどんだ空を渡り、ひび割れた大地を越え、世界中に響くようであった。



  『女神の裁きにより、大地の三分の一が引き裂かれ、内海のひとつは干上がった』



 濁った大気を割って、美しい青空と眩しい太陽が顔を覗かせる。
手を差し上げる<皇女>に向け、金色の太陽の輝きがひとすじ降りてくる。

 広がっていく青空の下、白き翼を花のように開く、美しい<女神>。
その<女神>の胸元には幾つもの文明を抹消し、世界を破滅に導いた<神の力>が渦巻いている。



  『神々は、我々を見捨てたのだ――』



 妖しい輝きを抱く<女神>に、<皇女>が高らかに宣言する。


  「<女神>よ――!
   今から、お前の、その<神>の身体に、私たちの決意を刻み込んでやる!」


 金色に色づいた長い髪をなびかせ、<皇女>の体中から、小さな光の粒が立ちあがっていく。
急激に高められていく魔力。その力の全てを、<皇女>は、天に掲げた左手へと注ぎ込んだ。



  『今の人類に、女神を倒す術は無い。だが――』



 左手の薬指で、<水晶の指輪>が力強い輝きを放っていく。
<皇女>の左手が指し示す上空へ向けて、白く輝く魔力が駆け抜けた。



  『だが、もしあと千年。時があればどうだろうか?』



 左手の指先に集められた白い魔力は鋭く研ぎ澄まされ、<水晶>で出来た剣のように展開する。
 天高く現れたその<水晶剣>に向け、<皇女>はさらなる魔力を送り込む。
<皇女>の体内を透明な魔力が駆け巡っていった。その魔力は、幾千の人々が捧げてきたもの。

 人々が<皇女>に託した魔力と、精神と、肉体。
そして諦めなければならなかった彼らの人生のすべて。
そのすべての重さを懸けて、作られた<皇女>は持てる魔力を<水晶剣>へと注ぎ込んだ。


  「くらえっ!」


 体内を駆け巡る魔力のすべてを出し切って、<皇女>がゆっくりと地面へ倒れ込む。
ほぼ同時に、<女神>が異様な気配を察し、僅かに天を仰ぎ見た。

 全天を覆うほどの巨大な<水晶の剣>が、ゆっくりと空を落ちてきていた。
その澄んだ切っ先が、よどんだ空に射し込む太陽の光を反射して、ギラリと光った。

 翼の一枚に突き立った<水晶の剣>は、そのまま一気に滑り落ちる。
身の毛もよだつ叫び声をあげ、<女神>は身をよじり、天を仰いだ。
太陽を見つめ、<女神>の瞳が、大きく開かれた。

 その瞳に滾るような輝きをたたえ、<女神>は、倒れ伏す<皇女>へと振り向いた。

 <女神>の震える手が、斬り落とされた翼の付け根へと伸びる。

 さっと<女神>は手を凪いだ。
毟り取った無数の白い翼が、<女神>の指先から勢いよく放たれる。

 舞い上がった白い翼のひとひらひとひらが、地上を逃げ惑う人々に取り憑き、
その肉体の奥へ、奥へと、深くのめりこんで<神の力>を注ぎ込む。


  「ぎゃああああ!」


 喉の奥から振り絞るような叫びを上げ、身をよじる人々の姿。
それはやがて、見るもおぞましい<魔物>の姿へと変わっていった。

 地を埋めつくす<魔物>の群れに囲まれ、倒れていた<皇女>は顔を持ち上げた。
おびただしい<魔物>の群れの向こうで、<女神>が白い翼を折り畳み、
その身をゆっくりと地下へ沈めていくところであった。



  『私はこの命に代えても、その時を稼ごうと思う』



 ゆらりと起き上がった<皇女>に向け、いっせいに<魔物>たちが襲い掛かる。
そのおびただしい数の<魔物>を見つめ、<皇女>が凛々しい顔を上げた。
唇を引き結び、おとがいをあげ、揺るぎない燃えるような眼差しで<魔物>の群れを見据える。
<皇女>の心の底から滾るような魔力が込み上げ、一気に<皇女>の体を駆け抜けていった。


  「負けはしない! 私は!」


 金色に輝く髪をたなびかせ、<皇女>は<魔物>たちに向かって、駆け出した。