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エピローグ



 深くひび割れた大地を、私は一人歩いていた。
赤黒く変色したぼろ布をはためかせ、吹きすさぶ風に身を乗り出すようにして杖をつき、
一歩一歩、大地を踏みしめて行く。

 世界はどこも地獄だった。
破壊しつくされた都市には、文明の痕跡は一切残っていなかった。
それどころか、山々や大地も抉り取られ、地図すら当てにならない。

 かつての<帝都>で、あるいは干上がった海の向こうで、あるいはもっと別の地で、
<女神>と<皇女>の戦いは終わったと聞いた。

 <女神>は深い傷を受け、地下に身を潜めたのだとの噂だった。だが正確なその場所や、
<女神>を倒した<皇女>がどうなったのかは、ようとして知れなかった。

 苛立たしい思いを抱えて、それでも私は探した。
この広い世界のどこかにある、<女神>と<皇女>の最後の戦いの舞台となった地を。

§ § § § §

 どれくらいさまよった頃だろうか。

 焼け爛れた大地に歪な岩肌が広がる地帯に出た。高熱で溶けた蝋のような塊。
それらがかつては建物であったのだろうと推測し、私はあてにならぬ地図を見返した。
と、その歪な塊の影に、白い何かがはためいていた。

 近づいて見れば、それは白いドレスを着た十歳ばかりの小さな女の子であった。
女の子は大地にめり込むようにして、ひざを抱えしゃがみこんでいる。


  「こんなところで何をしているんだね?」

  「!」


 私が声をかけると、しゃがみ込んで白い石のように丸くなっていた女の子は、
飛び上がるように身を起こした。振り返った女の子のその手の中にあるものを見つけて
私は目を見開いた。

 それは、錆付いてはいたが剣の形をしていた。柄には赤い魔法石が輝いている。
女の子は私と同じように驚いている様子だった。私の手にした杖を、じっと見つめている。
私は杖をもっとよく見えるように差し出してやった。それは杖ではなく大振りの魔法剣だった。
柄のところには、やはり魔法を帯びた宝石が赤々と輝いている。

 女の子は錆びた剣を突き出すようにして、私の魔法剣とつき合わせ見比べる。
並べられた魔法石はが互いを呼び合うように赤く煌き、その上に金色の竜が浮かばせた。

 女の子が微笑んだそのとき、私は微かに感じた。白薔薇の、蒸せるような甘い香りを。
遠い昔、薔薇園で捕らえ、その後、剣を交えることとなった手強い武人の姿を。


  「ローズマリー……」


 私の思わず漏らしたつぶやきに、女の子は首を振っていた。
荒れた大地に、錆びた剣をつきたて、こう書き記していく。


  『それは、わたしの名前じゃないの』


 女の子がポケットから何かを取り出した。手渡されて、私は息を呑んだ。
小さな手の中で淡く輝くのは、見覚えある<水晶の欠片>――。


  (――フェリクス)


 私は、受け取った<水晶の欠片>を強く握り締めた。



  『裁きの日――。我々は、女神が舞い降りるのを見た。

   だがそれは、福音ではなかった。
   女神の裁きにより、大地の三分の一が引き裂かれ、内海のひとつは干上がった。

   神々は、我々を見捨てたのだ――。


   今の人類に、女神を倒す術は無い。

   だが――。


   だが、もしあと千年。時があればどうだろうか?


   私はこの命に代えても、その時を稼ごうと思う。


   どうか子孫たちよ。いついかなる時も、神を頼むな。

   祈りを捧げる時があるのなら、子を生み、育てよ。
   手に剣を携え、魔術を鍛えよ。

   生きること――。
   どのような困難が訪れようとも、生きることだ。

   それのみが、人類の希望となるだろうことを予言し、このメッセージの結びとする。


水晶の魔女』


 私は淡い輝きを放つ<水晶>を握り締めた。
 やがて、フェリクスや<皇女>のことを知る、この私の命も尽きる。

 人類の命が続く限り、未来はあると言えるのか。
未来があるということが希望なのか。それとも絶望なのか。

 私にはわからない。

 こんな恐ろしい体験を、私たちはこの子や、遠い子孫に引き継がせねばならないのか?
そう思えば身がすくむ。

 私が深い物思いに沈んでいると、女の子がすっかり退色してぼろぼろになってしまった
私の赤いマントの裾をつかんで引っ張った。


  『わたしは、マリーなの』


 地面に書き記した名前を指差し、女の子はにっこりと笑った。
そのマリーの名前の側には、名も知らぬ白い花が小さな蕾をつけている。


  「そうか、マリーか。マリーは、この花を見ていたんだね」


 こっくりとマリーはうなずき、顔を上げた。 
マリー、マリー、と。遠くで、彼女の名前を呼ぶ声がしている。風の中、見上げれば、
歪な岩肌を跳ね回る子供たちの姿が見えた。

 私のしわだらけの手をマリーの小さな手がぎゅうっと握る。
足元には、新しいメッセージが刻まれている。


  『ローズマリーはおばあちゃん。
   わたしたちの町は、あっちよ』


 マリーは向かい風に顔を上げ、遠く、彼方を指し示した。
風が巻き上げる砂が青空をかすませる彼方に、わずかに緑が見えていた。

 飛び回る子供たちの小さな背中。手を振って私たちを呼んでいる、その小さな背中の向かう先、
 わずかに残った緑の地を見つめて、私は理解した。

 そうなのだ。どんな困難があろうとも、生きることが希望なのだ。
がむしゃらに、ひたすらに。ただ生きること。生きていること。
それが残された私たちの、今、ここに命がある私たちの背負う新しい<使命>――。

 私はやはり信じているのだ。人間の力というものを――。

 私は強さを増す風の中に、瞳を凝らした。
今、ここに流れるこの時は、一瞬たりとも途切れることなく、未来へと続く。
そして、いつか私たちの暮らしが取り戻せる日が来る。
どんなことがあっても、その日はやって来る。

 だから、私の遠い子孫たちよ。
私たちの命も同様に、途切れることなく未来へと続かせていくのだ。

 そして、やがて来る戦いに備えてくれ!