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中世の異端とされていたカタリ派が残したとされる写本。 そこに書かれてあった内容はどの国の言語にも該当せず、いかなる学者の頭脳をもって しても長い間解読不可能であった。 ただ言い伝えでは、それを解読できた者には、闇の勢力を打ち破る神の力が付与されると されていた。それらはカタリ派において『完全者』と呼ばれる、12人のマスター達のみが 身につけており、闇の者との戦いにおいて絶大なる力を発揮したとのことだ。 何人もの錬金術師、数学者や神秘主義者といった面々が、写本の解読に挑戦しては 敗れていった。近年になってスーパーコンピューターと近代数学の力によって 解明されると信じられたが、それもまた学者達の幾度の挑戦の末、失敗に終わった。 だが一人の男が、数百年に渡る謎を見事解明する。 レイ・プラティエール、フォートと呼ばれる組織の設立者であり、年齢、出自、家族構成に 至る何もかもが謎の男の手によって。 間接照明に照らされた薄暗いドーム。 継ぎ目のない光沢のある黒い合金で作られた内部は、少し寒いくらいに温度が 設定されていた。それはここで働く人間よりも、壁に埋め尽くされた機器類のためである。 宇宙船の内部のようなその施設内では、数多くの人間が忙しげに動き回り、 無数のモニターを眺めては、端末に何かの情報を打ち込んでいっている。 目下、彼らの意識は一人の男に向けられていた。 「ルクス・ペイン。あの写本に書かれていたのは、『聖なる痛み』と呼ばれるアクセサリーを 作成する方法だったようだ」 声の主は、息を呑むような美しい男性である。 シルバーに近い金髪と、吸い込まれるような青い瞳を持った美しい男だった。 どんな女性もその美しさに惹かれるよりも、うらやみ嫉妬するだろう。 まるで神話の世界から抜け出してきた聖霊のようだ。 フォートの所長レイ・プラティエールである。 「だが、一つだけ問題がある。罪有る者がルクス・ペインを身につければ、 即座に神の鉄槌が下るとされている」 神の鉄槌と聞いて、集まった職員は皆、密閉装置の中のリングに目をやった。 「レイ所長ともあろう人が、迷信めいた言葉を吐かれるとは……」 年齢は二十代後半、短く刈り込んだ金髪、背は高く、知性の高さを感じさせる広い額と、 意志の強そうな青く澄んだ瞳を持った男だった。 「逆に聞きますが、罪無き者など、いったいこの世のどこに居るというんです?」 そして嘲りに似た笑みを浮かべ、周囲の者に言い放った。 「『罪』というもの自体に意味を持たせるなど、まるで古代の神官のセリフじゃないか。 そもそも、そう言った事が書かれている、カビ臭い本に希望をかけること自体が、 ナンセンスだと思うんだがね」 若くして物理学と生物学の権威であり、副所長という立場から、彼は常にレイ所長の やる事を冷ややかに眺めていた。 「まあ、数分後すべてがわかる。では実験を始めましょう」 「副所長、もう一度聞くが、私の意見としては、適性者の条件を確立した後に実験は 始められるべきだと思うのだが」 感情というものを表に出さない、レイ所長の静かな声だった。 「適性者!?」 男の挑戦的な瞳が、レイ所長に向けられた。 「こういった物というのは、得てして迷信と虚構の産物であり、その『完全者』と呼ばれた 立場の者の権威を表す物に過ぎない、という事実を今から証明しましょう」 「わかった、では始めたまえ」 男の指示により、ロボットアームによって密閉装置の中からリングが取り出された。 不安げに見守る職員達。 ロボットアームの指から、男はリングを手に取った。 何事も起こらない。 男はみんなを見渡し、軽く肩をすくめ、ゆっくりと左手の薬指にリングをはめた。 すると……。 指に何か傷みを感じたのか、男は顔をしかめた。 惨劇は一瞬だった。 リングから無数の黒い金属質の触手が出現したかと思うと、見る見るうちに、 彼の手のひら、そして左腕へとそれは成長した。 まるで猛スピードで成長する植物の蔦だ。 男の絶叫が響き渡る。 無数の黒い触手は、皮膚と同化しながら全身に進行していく。 わずか数秒の出来事だった。 男はゆっくりと崩れ落ちた。 黒い触手は、逆回転のフィルムのようにリングの中へと消えていった。 しんと静まり返ったフォート内。 機械類のブーンという重低音だけが聞こえている。 惨劇に凍りつく職員の中で、レイ所長だけは眉一つ動かさずにその光景を眺めていた。 そして彼は床にかがみ込み、男の指から『ガウェイン・リング』を外した。 「医療班はどうした?」 所長の言葉に、ようやく我に返った職員達は、慌しく動き出した。 ストレッチャーを持ってきた医療班は、動かなくなった男性を急いで運び出した。 医療班は誰もが険しい顔をしている。 これから彼らは、蘇生行為と原因究明に夜を徹してあたるのだ。 彼らは高額なギャラで雇われた優秀な者だが、ここで扱う案件は他と異なり、 下手すると自分の命に関わるものばかりだった。 そんな緊張感にピリピリしている室内で、ノーラ・デーベライナーだけは、 みんなと違った感情を持っていた。それは恐怖だった。 なぜなら彼女は、はっきりと見た。忙しく走り回る職員の中で、リングを手にした レイ所長が自らの指にそれをはめる様子を。 それはわずかな時間だった。 レイ所長は表情を一瞬曇らせたが、すぐに元に戻り、何事も無かったかのようにリングを 外したので、他の者で気づいている人間はいなかった。 視線を感じてか、レイ所長はノーラに向かって言った。 「どうやら伝説は本当だったようだな。 それでは、これからこの指輪の解析に取りかかるとしよう」 そして彼女の方に歩み寄り、リングを手渡して部屋を出て行った。 その後の研究で解明したリングの力。 指にはめた者の負の想念に反応し、それを養分として成長する未知の金属によって 作られていた。発生した黒い触手は、人間の脊椎、脳内に入り込み、神経細胞と同化。 触手の侵食を受けた人間は、肉体の復元力、全知覚を飛躍的にアップさせるだけでなく、 思念への干渉が可能になることから、負の思念体とも言うべきサイレントに対して有効な 力を有すことが判明した。 だがその生存率、わずか数パーセント。 類稀なる生命力と、生に対しての強烈な渇望を持つ人間が候補者に選ばれるが、 その中でも変異を終えて元の肉体に復元するものは、限りなく0に近い。 大抵の者が発狂するか、変異の途中で拒否反応を起こして死亡する。 力と引き換えに要求されるのは、死であっても充分でないのだ。 その魂すらも犠牲の祭壇に捧げなければならない。 これらのアクセサリーが、聖なる痛み、ルクス・ペインと呼ばれる所以である。 |
end. |
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